北九州 まなびとキャンパス"

夢リレー

北九州産業学術推進機構<FAIS> 豊島 学さん

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Profile
1982年北九州市生まれ
西南学院大学経済学部経済学科を卒業後
福岡銀行若松支店に入社 その後北九州本部を経て、今年からFAISへ出向中

“今”の選択が、“未来の自分”を創る

「65歳になったときは家族と幸せに過ごしている。隣でラブラドールがのんびりまどろみ、日本全国から多くの経営者が笑顔で相談にやってくる。銀行引退後、そんなカフェを営んでいたら素敵ですよね。」

そんな「肩の力を抜いているのだけれど、他のだれかに影響を与えることができるような素敵な“おっさん”になっていたい。」というのが豊島さんの夢だ。
そんな素敵な夢に向かって、目の前の選択を大切にしていると豊島さんは言う

学生時代:甘ちゃん少年からチャレンジ青年への変化

中学の頃は陸上部でタイムを縮めることを目標に頑張るスポーツ少年だった。その反動か高校では、友人達と行く当てもなくただ毎日を楽しく過ごした。その後、「大学生活がエンジョイできそう」という安易な理由から福岡市の西南学院大学に進学。
しかし大学2年、サークルの友人との出会いが豊島さんの甘い考えを一蹴させた(第一のターニングポイント)。その友人は、「図書館に行けばいつでも会える」というほど勉強熱心な学生だった。
彼がそれほど勉強に打ち込む理由は「30歳で税理士として独立したい」から。その為には、①大手税理士事務所で勤務経験を積む必要がある、②そのためには27歳までに税理士資格を取る必要がある、③そのためには“今”十分な学習時間が必要である、このことを理解しているからだった。
「30歳になった時の彼と自分の姿を想像してみました。このままだと二度と縮まらない差を付けらかねない。そう思うと、日々を刹那的に楽しんでいた自分に焦りが生じて来たんです。」この焦りが豊島さんを、“1ヵ月間サンフランシスコ自炊生活チャレンジ”へと駆り立てる。ホストファミリーの居ない1ヶ月の海外生活は、これまでの甘えた学生生活を矯正するための良い機会となったらしく、その後の行動と価値観は途轍もなくポジティブンものへと激変したそうだ。
ちなみにこの友人は、30歳で個人事務所を設立、現在は税理士法人として事業拡大中とのこと。「彼との出会いは奇跡でした。今では彼と堂々と肩を並べ、福岡経済について議論を楽しんでいます。」と、社会人となった今でも大学時代と変わらぬ切磋琢磨を続けている。

入社~現在:伸びきった鼻を粉微塵にされる経験を経て

青春謳歌した大学生活を卒業後、「いつかは社長に成れたな良いなぁ。。」程度の夢はありながらも地域の金融機関で働くことを選択。第一希望だった福岡銀行から内定を勝ち取る。配属された若松支店ではこれと言った成果も出ないまま(とは言え自分では凄い!と思っていたらしい)入社5年目にはなんと『北九州本部』という地区本部へ最年少での異動が決まる。その部署は北九州にある福岡銀行36支店の法人営業をサポートする少数精鋭の専門部署。支店やお客様の要望や課題に対し、決して逃げ出すことなく対応策を示す事が役割だ。異動した当初、「うふふ、やっぱり俺はデキル銀行員なんだ!こんな部署に配属されるなんて凄い俺!!」と有頂天。しかし、他の真の精鋭9名と仕事をする中で、豊島さんの化けの皮はドンドン剥がれていった。
圧倒的な仕事力を見せつけられ、仕事に対してのスタンスを問われ、日々求められる水準に応えることができず“実力のなさ”を思い知らされた。先輩方に伸びきった鼻を折られ、折られた鼻を微塵切りにされたことで、“何もできないくせに調子にのり、感謝の気持ちを忘れ奢った自分”に気づくことができた豊島さん。「入社からこれまで、僕は自分の能力を過大評価していました。でもそれは、福岡銀行というブランドがあるからこその能力でした。フェラーリに乗って良い気になっていたようなもの。車がすごいだけであって、運転手がすごいわけではないことに気づいていませんでした。そこから先は、自己嫌悪の毎日でしたね。」激しい自己嫌悪から二年、その考えから抜け出すことが出来たのは、ある尊敬する先輩から贈られた言葉がきっかけだという(第二のターニングポイント)。 

「10年後でも20年後でもいい、自分がこうなりたい!と思う姿を想像してみな。そして、そんな理想の自分が過去(今の自分)を振り返った時、懐かしそうに綴るであろう“今”を、その内容の通りに生きてみろ。理想の自分が過ごしてきたであろう“今”を過ごすことで、君は理想の自分に必ずなれるよ。」

ひどい自己嫌悪状態、なりたい自分像を見失ってしまっていたからこそ教えてもらった“夢の叶え方”。この価値観を知ることができ、それを実践した結果、今の自分があるのだという。理想の自分が伝記に記すような日々を生きている豊島さんは今、銀行業務とは全く異なる“産学官連携”の研究開発分野で日々精力的に活動している。「どんな環境でも、感謝の気持ちを忘れずに好奇心いっぱいに関わる人と笑顔で過ごしている30代前半。これが65歳の僕が語る懐かしの日々だと思うので、その通りに過ごしています。気持ち悪いよね(笑)」

これから

夢とは、“ああだったらいいなという希望・願望・欲望”ではなく、“具体的に描くことのできる将来の自分像”である。例えば“お花屋さんになりたい”というのは手段で、その根本にある“花をきっかけに人を笑顔にしたい、豊かな感性を手に入れたい、豊かな人生を手に入れたい”ということが夢なのだ。「自分にはたくさん夢がある。人の良いところを見つけると、自分もそうなりたいと思う。それがすべて夢に繋がっている。だから、人の良いところを見つけると、すぐ尊敬する癖があるんだよね~。」と語る寛大な心の豊島さん。「周りの人が上げたり下げたりするものはテンション。だけど、モチベーションは自分にしか変えられない。この考え方は、自分の大切なモチベーションを他人に下げさせないための防衛策なんだけどね。」いくら“テンション”の下がること起きても、決して“モチベーション”を下げることなく、理想の自分が伝記に記すような日々を、今日も笑顔で過ごしている。

感想

私は豊島さんのお話を聞いているときに、気付いたら涙が溢れていました。自分は夢ややりたいことがなく、将来に不安を感じていました。2年後には就職活動もあるのに、自分の一生続けるであろう職業はいったい何にしたらよいのだ
ろう、と深く考え悩むことが多々ありました。しかし、豊島さんの語る「夢」と私の考えていた「夢」は違いました。私は心の底から気付かされるものがありました。「夢」というものをとても大きく、壮大なものだと考えていましたが、
そうではなく人の良い所を見て自分もそうなりたいと思ったらそれも立派な「夢」だったのです。私は豊島さんとお話をさせて頂いている中で、一つ夢を見つけて頂きました。「30歳になったときに、家族と美味しいご飯を食べている」ということです。
これから10年間、この夢につながるような生き方を心がけたいと思いました。豊島さんのお話を聞いて、私はこの日が人生のターニングポイントなのではないかと思いました。本当にありがとうございました。