北九州 まなびとキャンパス"

夢リレー

国際貿易振興機構 JETRO(ジェトロ) 北九州貿易情報センター 井林アンナさん


Profile
神奈川県出身
小学校卒業後、中学、高校時代をアメリカで過ごす
一橋大学を卒業後、JETRO入社5年目
2年前に北九州に赴任

世界を舞台に能動的に社会に関わる人でありたい

中学、高校とアメリカで過ごし多様な国籍の人たちと過ごす時間の中で、 「自分とはなにか?」「日本人とは何か?」をたくさん考えた
“日本”そして“自分” の存在意義を高めるために世界を舞台に活躍している。
仕事 日本の発展に関わることで、自分自身を高めたい

JETRO(独立行政法人日本貿易振興機構)は日本の貿易の活性化のために、海外に輸出する企業や、日本に進出する海外の企業のサポートをおこなう団体。井林さんは、大学卒業後、世界の中で日本の存在価値が高まることにつながる仕事がしたいと入社。北九州に来る以前は、本社に勤務し、ケニア、ナイジェリア、エチオピア、ガーナといったアフリカ諸国でのビジネスのサポートを担当。日本企業とチームを作り、アフリカ市場の開拓していくことが仕事だった。現地の人々がどんな生活をし、どんなことを求めているのか?か?をさぐり、日本が得意とすることと、日本とは異なる現地のニーズをつなげていくことが求められた。

現在は、ドイツの企業などともタックをくみながら北九州の企業のアジアの市場開拓を担当している。フロンティア精神が強く求められる仕事である。

「なぜ、日本の企業のためにという、自分には直接利益が帰ってこない仕事のために働けるのか?」という質問をした際に2つの答えが返ってきた。

1つ目は、「面白いから」市場開拓や新しいビジネスモデルの開発、ネットワークを構築していくといった、自ら新しいことを作り出していくことが好きだから。

2つ目は、「日本企業が海外進出を拡大させ、日本がさらに進化していくことが大切だと思ったから」 仕事で海外に行った際や高校時代の経験から、日本の存在感があまりないことに気づかされ、日本がもっと元気に!と思うようになった。日本の貿易を活性化させることによって、世界の中で日本の存在意義の向上に向けて一生懸命関わることで、自分自身の価値を高めていくことができれば嬉しい。

このように世界をフィールドとして活躍されている井林さんが、海外で働くようになったキッカケは学生時代にあったという。

学生時代 日本人とはなにか?自分とはなにか?

井林さんは、小学生時代を日本で過ごし、中学、高校は父親の仕事の都合でアメリカの学校に通った。最初は、若者の言葉やファッションなどについていけず、戸惑ったが、多くの友人に囲まれるようになった。日本では「輪」を大切にするために「個」をあまり主張しないことが求められる。一方、アメリカでは、「個」を大切にし、自らの意見を持ち、発信することが求められ、人と異なっていることがよしとされる。そんな「個」を大切にするアメリカのなかでも、井林さんが住んでいたのは南部のまちで、様々な国籍、様々な文化を持った人々が集まっていた。白人、黒人、アジア人という人種との関わり合いの中で、「日本人とは何か?自分とは何か?」ということを意識させられ、自分のアイデンティティについて考えるようになった。

その後、アメリカの大学への進学も考えたが、日本の大学に通い国際関係について学んだ。就職するときには、「日本は開発途上国にビジネスで貢献できる」という思いが叶えること、海外での経験や大学時代に専攻した開発経済学の知識を活かすことができる場所を探した。日本がもっと世界で活躍できると思ったのは、高校時代の経験が大きい。同級生のメキシコ人が、アルバイトしながら通学し、祖国の祖父母に仕送りをしている姿を見て開発途上国の現状を知った。

これからの夢 頼られる人になる

井林さんは、海外との関わりの中で常に自分のことをアジア人、そしてアジア人の中の日本人という意識と向き合って生きて来た。そんな井林さんは「日本人は他国と比べると、追求心が強く、勤勉」だと感じている。

「日本や自分自身の特徴や強みを発揮して能動的に世界に関わって生きていきたい」。「そして、自分が社会に関った先に“幸せな人が増えてほしい”“多くの人が幸せを感じられるような世界にしたい”」という思いを井林さんは持っている。

今現在は、北九州の企業と世界をつなぐことが仕事。

「北九州には、一見派手ではないが、とても魅力的な企業や経営者が沢山いる。この北九州の魅力で、もっともっと世界に貢献できると思う」と語る。

世界を舞台に努力を重ねることで、人格を磨き、多くの方から「一緒にやらない」という声がかかるビジネスマンになっていくことが、井林さんの夢である。